2019年08月10日

「老いし身を 余生と言うや秋彼岸」……亡き母の分骨を終えて

101歳で亡くなった母の京都への分骨が漸く終了、お盆を前にしてほっとしています。


真宗本廟収骨でご参拝された皆様へ

ご参拝下さった皆様には、この度の亡き方をご縁として、宗祖親鸞聖人が明らかにされました本願念仏の教えに出逢っていただけますことを、心から念じあげるととともに、真宗門徒として聞法にいそしまれ、宗門の護持に尽くされた御身内の歩みをぜひともご相続いただき、今後とも格別のご懇念を賜りますようお願い申し上げます。

本日のご参拝を機縁として、大切な方のご命日を、各法要時には真宗本廟(東本願寺)にお参り下さいますよう、重ねてお願い申し上げます。   真宗大谷派(東本願寺)宗務所 参拝接待所


「蘇る 分骨終えて 親の恩」……そして、ギラギラ照りつける日中の強い日差しの中で、どなたかが墓周りの草取りをし、墓石を磨き、花筒にお花を挿して、お盆を迎える準備を終えてくれました。

毎年、繰り返される年中行事。ただ習慣だからと、これまで、私は、その意味を深く問うことはありませんでした。


母は、101歳で亡くなり、父を亡くして43年後でした。

夫に先立たれた母は、戦時下、一人苦労して、父が残した家業を継ぎ、これまで見事に生き抜いてきました。そして、5人の子どもを見事に育ててくれました。

お墓を前に、「ご先祖様、お帰りなさい!」と、静かに手を合わせると、父母・先祖の生き様に想いが募ります。

とりわけ、父亡き後、母の“生きる力”を奮い立たせてくれたもの、……それは、お寺とのご縁ではなかったかと思うのです。


母は生前、お寺の役員を仰せつかり、聞法の機会をたくさん頂いて、お念仏の生活を続ける過程で、“生きる力”は育まれてきたように思うのです。 母亡き後は、私が元気であれば、私に「母の代わりに、お寺の役を!」という期待に応えなけばならないと思うのですが、あいにくの大病を発症して無念の生涯を送っている現状です。


今年のお盆は、母の分骨が終わって、久しぶりに出会っている父母の笑顔に想いを馳せ、兄弟を想い、二人の子供夫婦と孫を想い、……仏縁をもっと確かに繋ぎたいと思っています。


それにしても、連日の猛暑、……心身が凹まないように生きたいものだ!
posted by 好童 at 17:26| 新潟 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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