2008年11月14日

古稀を祝う会……同期生諸氏の生き様

 過日、猿ヶ京温泉で開催された「N高校32年卒 同期生の『古稀を祝う会』」の報告書が届きました。

 節目の同期会で、出席したかったのですが、……私は体調を考慮して、今年は不参加だったのです。

 幹事のご苦労に思いを寄せながら、報告書に目を通すと、古稀を迎えた同期生諸氏の生き様が見えてきます。

 既に、他界した仲間が50名と聞いてびっくり!……当日の参加者は55名、不参加者の動向も記述されていて、それぞれ人生の節目に生きる同期生諸氏の生き様に想いが及びました。

 既に、妻が逝き、独居生活をしています。母の介護のため月に一度長岡の生家に戻ります。

 風をこじらせ肺炎で入院、今は回復し、見た目は元気にしています。

 糖尿、前立腺肥大、さらには物忘れと老化の一途を辿っています。

 交通事故により右足切断、義足ですが元気です。

 心臓にステントを計4本入れましたが、まだ元気です。

 腎癌で左腎全摘出しましたが、幸い、ギリギリ早期治療で、一見、元気そのものです。

 亡妻の17回忌を予定していますので、出席を断念します。

 急性心筋梗塞で入院して1か月、心臓にステントを入れ込み、ペースメーカーを植え込んで障害者になってしまいました。

 「人生七十年生きる人は、古くから稀である」と言われ、昔から長寿の祝いとされた70歳、……しかし、気力体力の衰えは明白のようです。

 
http://www.kdcnet.ac.jp/college/sikamasu/koki.htm
 
 孔子は「七十にして心の欲する所に従へども、矩をこえず。」と述べている。
 
 孔子ほどの人でもやっと
70歳にして「矩をこえず」の心境に達したのであるから、我々凡人が70歳にして未だに迷い言をいい、争い事に巻き込まれるのは当然のことかもしれない。

 しかし、肉体が長生きできても精神的に豊かな生活を送ることができなければ、我々の平均余命が延長したことの意義は薄れる。

 幾つになっても尽きぬ蒙昧たちの争い、何をかいわんや。呆れるばかりである。
 古稀を迎えて、もう一度肉体的健康を検査するとともに精神的健康も検査したい。
 古稀の節目に、わが身の来し方を振り返り、あれやこれや考えることは意義のあること、……今夜は、改めて報告書を読み直し、これからの生き方にじっくりと想いを巡らせたいと思うのです。

 夕刻、めぐみ工房を訪問し、「おじじの日記」の校正本を届けました。仕上がりが楽しみな“おじじの「ブログ本」”です。
posted by 好童 at 17:04| 新潟 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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